俳句をやろうと思います【菊枕/松本清張短編集Ⅱ】

今回、書籍『松本清張短編集Ⅱ 阿刀田高編集』内の短篇作品「菊枕」を読みましたので、そのお話をしたいです。

気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、読み進めて行きたいと思います。

ちなみにこちらの作品における主人公ぬいは、俳人杉田久女をイメージして描かれている(※)のだそうで、そこでまず、

wikipediaの「杉田久女」の項からざっと確認してみますね。↓

鹿児島県出身の俳人。高浜虚子に師事。長谷川かな女、竹下しづの女とともに、近代俳句における最初期の女性俳人。鹿児島県鹿児島市で生まれ、東京女子高等師範学校附属高等女学校卒業

(※竹下しづの女についてはこちらの記事で!↓)

続きます。↓

美術教師の杉田宇内と結婚。芸術家との結婚は久女の憧れであり、夫の任地である福岡県小倉市に移る。兄より俳句の手ほどきを受け『ホトトギス』に初めて出句。初めて高浜虚子に出会い虚子への崇敬を高め頭角を現す

続きます。↓

離婚話が持ち上がるが夫の同意が得られず。俳句を一時中断。星野立子・本田あふひと共に女性初の『ホトトギス』同人となる。

句集の出版を切望し虚子に序文を頼むも黙殺。理由不明のまま「ホトトギス」同人を除名される

続きます。↓

鬱々とした日々を過ごし心身を衰弱。戦後の食料難により栄養障害を起こし福岡県立筑紫保養院に入院。腎臓病の悪化により同病院で死去。享年55歳

もう少し続きます。↓

松本清張の小説『菊枕』にも影響を及ぼした、「久女伝説」とされる高浜虚子による久女関連の情報の真偽(常軌を逸するやうになり、所謂手がつけられぬ等)は疑問視されており、現在では久女の実像を踏まえ、近代女性俳人の嚆矢としてその作品が評価されるようになっている(※)

とありました。上記を踏まえた上で、小説『菊枕』のお話へ移りたいと思います。↓

熊本生まれのぬいは、お茶ノ水高等女学校を卒業後、20歳の時に三岡圭介と結婚。圭介は美術学校卒業後、福岡の中学校で絵画の教師になる

続きます。↓

ぬいは圭介に芸術家を求めたため、教師の圭介を不満に思い非難。長女次女が生まれるも、ぬいはたびたびヒステリーを起こすように

圭介にあきらめの気持ちを抱いたぬい。↓

俳句を趣味にするように。俳誌「筑紫野」に句を投じ、瀬川楓声に九州女流三傑と評される

続きます。↓

初めて楓声が九州にやってくると、ぬいは朝から晩まで傍に詰め、また宮萩梅堂が主宰する俳誌「コスモス」に投句し始める

それからのぬいは、↓

ひたすら「コスモス」の雑詠に打ち込んだ。ぬいにとって梅堂は太陽であった。客観写生を喧しくいう梅堂に倣い野山を歩いた

中でも英彦山を好んで歩いたぬい。

好調の時期を迎えるも、勝気の念が甚だしく強かった。当代の女流をほとんど敵視した

ある時にぬいはいよいよ上京し梅堂を訪ねます。↓

いっそう梅堂信者となったぬい。梅堂が以前、脳溢血になったことを知るや、布で作った袋に干した菊を入れた菊枕を作り再び上京

梅堂の周りであれこれ動き回るぬいの姿は、他人にはずいぶん苦々しく映ったとも。

 

ぬいにとって梅堂は絶対であった。そんな中、次第にぬいの神経に苛立ちが感ぜられ様子が変わっていきます。

「コスモス」に投稿しても載らなくなり、憔悴していくぬい。毎日のように梅堂に手紙を書くも、返事は滅多になかった

そしてついに「コスモス」を除名されることに。

精神病院に入ったぬいは、そこで圭介に自分で作ったという菊枕を手渡します。

内部をのぞくとそこには朝顔がいっぱい入っていた。圭介は涙が出た

以上が、松本清張が杉田久女をモチーフに描いた『菊枕』のお話のあらすじです。wikipediaの情報と小説『菊枕』の情報を照らし合わせてみると、

久女がぬい。宇内が三岡圭介。高浜虚子が宮萩梅堂

といった具合。この作品では、久女遺族と松本氏の間に紛糾があったとも伝えられているのだそう(※田辺聖子著「花衣ぬぐやまつわる」より)。

そこで次は、作品『花衣ぬぐやまつわる わが愛の杉田久女』を読んでみたいと思います。終わり。

(※松本清張のお話はこちらの記事と↓)

(※こちらの記事も!↓)