那珂郡春日村【春日原地区歴史散歩/赤司岩雄著】

書籍【春日原地区歴史散歩/赤司岩雄著】を読みましたので、今回はそのお話をしたいです。こんにちは。

いつものように、書籍内から気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、皆さまと一緒に学んでいければと思います。

よろしくお願いします。まずは春日原地区にかつてあった競馬場のお話から始めます。

現在の春日原市役所、クローバープラザ、航空自衛隊及び春日公園一帯は、昭和の初期は春日原競馬場であった(p12)

界隈のマップがこちら。↓

(※春日原市役所についてはこちらの記事で!↓)

(※春日原競馬場についてはこちらの記事も!↓)

それから、↓

福岡近郊の競馬については、明治20-30年代には井尻川原、老司、別所、東公園など数多くの競馬見物記事があります

とのこと。福岡ではずいぶん競馬が盛んだったんですね。さらに大正時代には、

箱崎、西陣町、新柳町、井尻川原、糸島前原、朝倉郡篠隈、三井郡北野などの競馬見学の記録がある

のだそうです。で、かんじんの春日原競馬場については、↓

昭和2年、産馬組合評議員会が協議の上、現在の陸上自衛隊春日駐屯地のある辺りの土地を臨時的に借り受けて競馬を開始。昭和7年までここ小倉で開催

続きます。↓

その間に馬場を整備し、のち会場を春日原競馬場に移します。以来昭和14年まで春秋3日間づつ競馬が開催されました(p14)

とありました。

 

次第に日中戦争が激しくなると、↓

馬は軍馬として徴発。春日原競馬場に小倉造兵廠の銃器製造工場を建設することになり、春日原競馬場は廃止。新しい競馬場は宗像郡福間町に建設移転(p14)します

一方、春日原競馬場跡地に出来た小倉造兵廠では、↓

飛行機搭載用二式20ミリ機関砲、九九式歩兵用短小銃、黒塗り銃剣、日本刀などの兵器が製造されました(p16)

とのこと。終戦後、旧小倉造兵廠春日製造所にマックブライト少佐がジープで来社。これら一帯の土地は米国占領軍に接収されることになります。

連合軍が接収した席田飛行場を板付飛行場と改称。旧小倉造兵廠春日製造所を「ベースワン」と呼び、

旧九州飛行機製作所雑餉隈工場を「ベースツウ」とし、三施設を合わせて「板付基地」と総称(p17)

一方地元の人は「春日原ベース」と呼んでいたとのこと。(※春日原ベースのお話はこちらでも!↓)

時を経て1972年、この「春日原ベース」は日本に返還。返還後は、↓

航空自衛隊、クローバープラザ、春日市役所、春日公園、春日公園団地、春日野小学校、春日野中学校、春日高校、九州大学大学院などになっている(p18)

そんな歴史の流れのお話でした。

 

さて、お次は「総合運動場」のお話へと移ります(p48)。

1924年、春日原駅舎予定地の西南側にあった大きな三つの池のうち南側と真ん中の池を埋め立てて総合運動場を造成。

テニスコートを開き、春日原野球場と陸上競技場を造りました(p48)

運動場道の碑。↓

(※総合運動場についてはこちらの記事も!↓)

そして、↓

この時に埋め残した池の名残が現在の龍神池で、現在は昔の十分の一の大きさになった(p72)

のだそうです。

西鉄春日原駅前にあるマツモトキヨシの、

その左隣りにのびる小道に入って、↓

それからそのまま、↓

龍神池の方に入った正面に春日原野球場の入り口があり(p48)、また、野球場入り口前を左へ行くと、野球場に隣接して陸上競技場兼ラグビー場があった(p49)

とのこと。野球場入り口がこの辺り!?で、↓

陸上競技場兼ラグビー場がこの辺り!?↓

続きます。野球場それから野球チームに関しては、↓

西鉄はノンプロ野球チームを結成、西鉄クリッパーズとしてパリーグに加盟し、西鉄ライオンズに。春日原野球場はその西鉄ライオンズ誕生の野球場であった

(※西鉄の野球チームについてはこちらの記事と!↓)

(※こちらの記事も!↓)

それから、↓

野球場・陸上競技場と西鉄線路の間(タクシー乗り場付近)にはテニスコートがあり、現在の福岡銀行春日原支店と龍神池の間辺りにはバレーコートがあったとも記されていました(p50)

テニスコートなんかはこの辺り!?で、

バレーコートはこの辺りでしょうか!?↓

1925年に春日原総合運動公園が完成すると、

夏の納涼・ボート遊び・花火大会など数々のイベントが開催され盛況をみせました

戦後になると、辺りは住宅地として発展。埋め残ったのが今の龍神池(p72)ということ。

また、春日原競馬場が新設された時(1939年)には、この龍神池の土手の道は競馬場入り口正面に通じる道であったために、道路はきちんと整備され、

春日原の駅から競馬場までのこの道は「競馬場道」と呼ばれたとか(p73)。そんな時代もあったのだそうです。

終わり。

(※書籍『春日原地区歴史散歩/赤司岩雄著』より参照させていただきました)