梅の木には可能性がある【金掛天満宮】

福岡県太宰府市の五条交差点そばに鎮座する【金掛天満宮】を訪ねました。↓

交差点を左へ進む道は「どんかん道」といって、そのまま太宰府天満宮へと続いています。↓

反対に右側へ進む道も「どんかん道」。その通り沿いに【金掛天満宮】はあるらしく↓

この緑で覆われているところっぽいんだけど↓

そこは広場になっていて、入り口がどこだか分からない。なんだか入りづらい雰囲気もある。↓

こいつはどうしたもんかとモジモジしていると、すぐそばには「ごじょうこはし」が架かっていて↓

脇に、なにやら案内板と↓

いくつかの石碑がある。↓

さっそく読んでみると、こんな具合。↓

『文明拾八年銘梵字板碑』。供養塔の一種で前面上半に月輪が彫り込まれ、梵字が陰刻されていて、強い力を持つ仏を示しています。建立背景は不詳だけど、室町時代中期の貴重な遺物です。

とのこと。

他にも記述があって↓

この付近はかつて五条構口があったけれど、昭和40年ころに解体されました。

構口(かまえぐち)というのは、宿場の出入り口のことなんだそうです。↓

さらに横断歩道の向こうには、こんな石碑が立っていて↓

そこには『梅大路』と刻まれている。これはかつて門前町として栄えた、その名残的ななにかでしょうか!?↓

ちなみに、太宰府から続く「どんかん道」は、この通りから右ななめへとのびていき↓

筑陽学園の裏を通って、最終的に「榎社」へとたどり着くのだそうです。



とかいって、私は「どんかん道」のことをなにも知らないんです。だからそのお話は、またあらためて。↓

さてさて、【金掛天満宮】に戻りましょう。天満宮の境内に入りたいのに入れない、近づきたいのに近づけない、そんなもどかしい私です、こんにちは。↓

ふと思いついて、裏にある郵便局へ廻ってみたら、その駐車場の奥に↓

入れる感じのスペースを発見しましたよ。↓

これが公式なんだろうか。↓

それはともかく、境内へ失礼します。↓

立派なご神木。↓

神社の祠。↓

由緒書きがありましたので↓

読んでみるとこんな具合。↓

ご祭神は「道真公」。今より500年の昔、古川家に勝時という人がいました。勤勉にてその財を成しました。時代は凶作が続き餓死する人もその数知れず。勝時は、私財を投げ出しこれを救い助けました。そのため、古川家は衰退の一途を辿り、子孫は困窮しました。

そののち↓

次代の勝政が庭内の天神の祠に祈念したところ、夢の中に白髪の老翁が出現して「梅の枝に黄金の袋を掛置きたまえ」とか言う。翌朝早く起きて祠に詣でれば、黄金。こうして家は再興したのでした。

ちなみに↓

この祠は、菅公御自作の「宇多上皇像」を建久9年に奉祀したことを創建とします。境内には、延寿王院に逗留した三条実美公がこの古川家を訪ね、金掛けの梅を詠じた和歌あり。

とのこと。その和歌を記した石碑には↓

「梅ヶ枝に かかる黄金の花もまた 根にかへりてや 咲き出づるらむ 実美」。


【金掛天満宮】

福岡県太宰府市五条2丁目2-10