首が落ちたり胴が落ちたり【菊池神社(胴塚)】

福岡市城南区にある福岡大学。その前を通る「城南学園通り」から

少しだけ入ったところに【菊池神社】が鎮座しています。

やけに広い一の鳥居の前。ここにもなにかあったのかな。祭事の広場とか!?

【菊池神社】のご祭神は「菊池武時(きくちたけとき)」「埴安命(はにやすのみこと)」「大鷦鷯命(おおさざきのみこと)」。

聞いたところによりますと、こちらの【菊池神社】には菊池武時の「胴」が眠る「胴塚」があるそうなのです。



菊池武時という人は肥後国の武将で菊池氏12代当主。出家して名前は「寂阿」。

元弘3年(1333年)、鎌倉幕府討伐を目指す後醍醐天皇の命を受け、武時は鎮西探題(現在の櫛田神社あたりにあったとか)の北条英時を攻めます。

鎮西探題というのはいわゆる幕府の出先機関。

攻めたはいいけれど、少弐貞経や大友貞宗ら味方の裏切りとか反撃にあって、わずかな兵力で戦うことになってしまいます。その結果、敗死してしまいました。

馬に乗ったままの武時の首が、馬上からようやく落ちたところが【護国神社】そばの↓

六本松にある【菊池霊社(首塚)】で↓

胴が落ちたところが、こちらの【菊池神社(胴塚)】といわれているのだそう。

のち天保2年(1831年)のお話。菊池武時の末裔で福岡藩士であった「城武貞」という人物が武時の墓を探しました。

捜索の際に「夢に武時が出てきて指示通りにある場所を発掘すると刀が出てきたのです」という言い伝えを知り、その該当するこちらの場所に墓碑を建てて祀ったのでした。

だけども。首や胴があちこちに落ちたという言い伝えとはまた別に

武時は「鎮西探題」で討たれ、その際に武時の首は直ちにそこの犬射馬場に晒されたのでした。

というお話もあるらしい。ですので、現実に首や胴がどうなったのかということは明らかではないとのこと。

だけど絵的にというか、そのストーリーは凄く迫力があります。まず始めに首が落ち、首のない武将をのせた馬が、福岡の町を駆け巡る。

それからわずか2ヶ月後、結局鎌倉幕府は滅亡したのでした。



境内本殿裏の一段高いところに、石碑が見えます。↓

おそらく胴塚ではないでしょうか。↓

境内は澄んだ空気に包まれてシンとしていて

狛犬がいい顔してる。なんなんだよ!!↓

終わり。

【菊池神社】胴塚

福岡市城南区七隈7丁目10-1

【菊池霊社】首塚

福岡市中央区六本松3丁目12−7