白山権現が乗り捨てた虎の猛威【白山神社】

先日、ふらり久山町を駆け抜けていたところ

「山の神」の交差点を左へ曲がったところに

遺跡と登山口の案内を見つけたんです。↓

そのそばには説明書きがあって、

さっそく読んでみると、そこにはこう記してありました。↓

以前、白山神社は白山山頂付近の花ノ木原にありました。山頂付近には石製の祠があり、現在も「上の白山さま」として信仰が続いています

続きます。↓

現在のご祭神は五十猛神ですが、近世には白山権現社として菊理姫神、伊弉諾尊、泉道守神を祀っていたようです。白山は「首羅山」ともよばれ、むかしは大社。白山頭光寺泉盛院を社僧とし350もの坊がありましたが、すべて焼亡したと「筑前国続風土記」に記載されています

続きます。↓

現在も山内には坊跡や堂宇の跡が。大晦日から元旦にかけては獅子舞が奉納されます。境内神社 山ノ神社(大山祀神)

とのこと。では参道を進んで境内へ向かってみましょう。扁額。↓

狛犬。↓

そして注連掛柱。

石鍋製作跡。↓

読んでみると、↓

ここ石鍋製作跡では首羅山の温石というやわらかい石を使って高級な石鍋を使っていたそう

とのこと。それから首羅山遺跡登山の手書きマップが。↓

この境内から登山口がのびているようです。山頂まで45分!ちょっと今回はパスで。ごめん!是非次回に。

山頂地区には鎌倉時代に中国から運ばれた薩摩塔、宋風獅子などを見ることができます

楽しみ。こちらが拝殿で、↓

本殿。↓

境内奥に『首羅山遺跡』の案内が立っており、↓

読んでみるとこんな具合。↓

首羅山遺跡は平安時代後期から鎌倉時代にかけて栄えた山寺の跡。最盛期には350もの坊があり、江戸時代には荒廃。昭和40年代に山頂で経塚が発見。本格的な発掘調査で五間堂跡や瓦が発見。国際色豊かな山寺の様子が明らかとなり、国史跡に

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現在の山名は「白山」だが中世の最盛期には「須良山」「首羅山」と呼ばれた。伝承には白山権現が虎に乗って百済からこの山に降り立ち、乗り捨てた虎の猛威を恐れた村人が虎の首をはねたところその首が光った。そこでその首を羅物(中国の薄絹)で包んで十一面観音を祀ったとあり、そこから「首羅山」

だそうです。ここに登山道入り口。↓

往復だったら1時間半だもんね。↓

境内社。↓

静かで落ち着いた雰囲気。↓

社務所には登山マップが置いてあって、↓

開いて読んでみると、こんなお話もありました。↓

古墳時代には観法岩周辺で祭祀が行われた。平安時代後期頃から寺院の活動が活発に。鎌倉時代には中国に渡った禅僧悟空敬念が入山

続きます。↓

本谷地区には五間堂が建てられ、山頂には薩摩塔や宋風獅子などが奉納され、寺院がさらに大きくなります。14世紀以降、寺院は衰退。その後宝満山の山伏の峯入りのルートのひとつとなり、修験の行場となりました

終わり。

(※宝満山の山伏といえばこちらの記事も!↓)

(※白山権現社についてはこちらの記事も!↓)

【白山神社】

福岡県糟屋郡久山町大字久原188