詠ったことのない歌を詠おうか【二日市温泉】

つい先日のお話です。

日田街道を辿ろうと思い立ち、福岡市中央区の福岡城から二日市までやってきましたので↓

ちょっと温泉にでも寄ってみます!?というお話です、今回は。↓

まず、二日市商店街をまっすぐ突き抜けて↓

ここを左へ曲がって『JR二日市駅』へと向かいます。↓

すると駅舎のそばに、こんな石碑が立っていました。↓

『佐藤栄作先生之景徳碑』。鉄道官僚そして首相も務めた佐藤栄作が、25歳のときに二日市駅の駅長を務めたという、その記念の碑ということみたい。↓

駅前には他にも碑があって↓

こっちの石碑は『野口雨情文学碑』。↓

そこにはこう記されていました。↓

山じゃ天拝月見の名所 梅じゃ太宰府天満宮 梅と桜は一時にゃ咲かぬ うすらおぼろの夜がつづく 今日は武蔵の温泉泊まり 旅の疲れを湯で治す

味わいがあって、とても素敵。

 

この石碑のそばには、とにかくやたらと目立つ二日市温泉の案内板が立っており↓

今から私はここへ寄り道してみようというわけです。温泉に入りはしないんだけど、見てみたくなくなくなくない!?↓

ということで、JR二日市駅をあとにして、そのまましばらく進みます。↓

JRの踏切を渡っても↓

さらに進むよ。どこまでも。↓

すると二日市温泉の案内板が出ていて↓

つまりこの通りに温泉宿が並んでいるということでしょう。↓

こちらは御前湯で↓

そのトイメンには博多湯。↓

温泉の効能。冷え症、筋肉痛などなど色々。↓

御前湯を正面から見て↓

近くへ寄ると御前湯縁起が立っている。↓

読んでみるとこんな具合。↓

二日市温泉は653年に武蔵寺の創建者である藤原登羅麿が薬師如来のお告げによって開いたとされています。古来より皮膚病や火傷に効くとされ、大宰府政庁の役人のための施設もあったとのこと

(※『武蔵寺』のお話はこちらで!↓)

縁起はもう少し続きます。↓

御前湯は福岡藩家老立花勘左衛門が整えたものとされていて、一般人の入浴は禁止されていました。その後、1871年より一般にも開放されました

通り沿いには↓

薬師如来。↓

二日市温泉の由来書きもありましたよ。↓

こんな感じ。↓

昭和25年に、現在の二日市温泉に改称。武蔵寺創建にゆかりのある藤原虎麿が薬師如来の霊夢により「東へ行ったら、温泉が湧くだろう。そこで身を清めれば、娘である瑠璃子姫の病気は治るだろう。」とのお告げを果たしたのが由来

こちらは大伴旅人の碑で↓

こういうことらしい。↓

「湯の原に 鳴く葦鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く」。この地で妻を亡くした旅人が、その悲しみを、湯の原に鳴く鶴の姿に重ねたもの

そして大丸別荘。↓

こちらにも通り沿いに碑が立っており↓

説明書きもありましたので↓

読んでみると↓

明治新政府で太政大臣となった三条実美は、維新前に太宰府で過ごし西郷隆盛や平野國臣といった勤王派と倒幕の策を練ったのでした

とあって、そんな時に詠ったのが↓

「ゆのはらに あそぶあしたつ こととはむ なれこそしらめ ちよのいにしへ」

さて。通りのさらに奥には小川がさらさら。↓

そばに猿田彦。↓

振り返るとこんな景色で↓

向かいにも石碑が立っておる。

近づいてみると↓

説明書きには↓

明治維新まえに太宰府に西遷した五卿の一人である三条西季知が二日市温泉で詠ったのが「けふここに 湯あみをすれば むら肝の 心のあかも 残らざりけり」

そうなんです。もう詠わずにはいられない!!この気持ち止められない!!ああ詠いたい。↓

二日市温泉には歌人の琴線をくすぐる不思議な魅力があるみたいで↓

すぐそばのマンション前にも、こんな石碑が立っていましたよ。↓

高浜虚子が詠んだ一句。「更衣したる 筑紫の 旅の宿」。

私も早く詠いたい。詠いたいったら詠いたい。


【二日市温泉】

福岡県筑紫野市湯町2丁目4-13