【福岡の戦争遺跡を歩く/海鳥社 02】
前回に引き続き、書籍【福岡の戦争遺跡を歩く/海鳥社 】を読んでいきたいと思います。
これまで同様、書籍内の気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、福岡各地の戦争遺跡を見ていくことにしますね。

まずは福岡市中央区城内の『福岡聯隊記念碑』(p62)から。

福岡城へ入ると目の前に広がる平和台陸上競技場。その隅のところに、
「福岡聯隊の跡」と記された碑が建っています。

これは、
営舎をかまえた歩兵24連隊を記念。裏側には「国事に殉じた戦友の英霊を慰めるために記念碑を建立」と刻まれています
続きます。↓
明治19年、歩兵24連隊は福岡城内に編成。日中戦争、太平洋戦争と出兵。福岡空襲では第146部隊がいたこの営舎は全焼
そして、
福岡城内に置かれた歩兵第24連隊。ここを母体として部隊が派遣された。末期には西部軍司令部も隣接して置かれた。戦後、一帯は戦争の反省から平和台と名付けられた
とありました。平和台の名前の由来はそういうことだったのか!
お次は六本松地区に鎮座する護国神社『営外練兵場』(p67)を見ていきます。

緑の杜で覆われる護国神社付近は、
かつて歩兵第24連隊が小規模集団訓練のため使っていた場所。
昭和18年、営外錬兵場一隅に護国神社が建てられるも、福岡空襲で全焼しました
とのこと。

ちなみにここ『護国神社』は、↓
明治維新から太平洋戦争までの国難に殉じた、福岡に関わる戦没者約13万柱を祀る神社。ご祭神はその英霊の方々
であると。それでは場所を移して天神地区へ向かいましょう。『戦災復興記念群像』(p70)。
西中島橋西端に建つ『戦災復興記念群像』。

10人の群像が3つの黒御影石の台座に建ち並び、中央の人物は手を上にかざしている。

昭和20年6月19日、B29爆撃機による焼夷弾攻撃を受け都心部のほとんどが焦土化しました。

このブロンズ像は戦災復興事業完成の記念群像、富永朝堂作「生きる」。

(※富永朝堂氏についてはこちらの記事も是非!↓)
お次は天神地区の『水鏡天満宮』(p72)。
『水鏡天満宮』は奇跡的に戦火をのがれたものの、金属供出令で狛犬が供出されることに。

その狛犬をのちに再建した富永朝堂は、文献を読み解いて彫った、とありました。ここにも再び富永朝堂。

といったところで中央区の戦災遺跡はここまで。東区の戦災遺跡のお話へ移ります。
馬出地区の『福岡市立動物園』(p81)。こちらは昭和8年に開園。
かつてあった福岡市立動物園の跡地に、今は福岡市立馬出小学校の姿。

福岡市立動物園は、昭和15年ごろまで観覧者数が増加したものの、戦争の激化によって昭和19年に廃園することに。その際、猛禽類は全て射殺されたのでした。

のち動物園という形としては、西日本新聞民生事業団が博多中洲の玉屋デパート屋上にミニ動物園を開設。それから、

昭和28年、南公園に動物園が完成し今にいたる、という歴史の流れだそうです。
お次は、こちらも馬出地区にある『称名寺』(p84)。
かつて奈良・鎌倉に次ぐ博多大仏が安置されていたけれど、

金属類回収令により陸軍に供出されました。今は境内に台座のみが残ります。

以上、お話はここまで。書籍ではさらに西区の戦争遺跡へと続くわけですが、それはまた別の機会に。
(※全て書籍『福岡の戦争遺跡を歩く/川口勝彦・首藤卓茂著 海鳥社』を参照させていだきました。ありがとうございます)
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