これがあの徐福伝説か!(分かってない)【童男丱女岩】

先日、日田街道を辿っていると、細い小道の脇にこんな案内板が出ていました。(→日田街道とか言ってたら長崎街道【日田街道13】)↓

『童男丱女岩』そして『柴田古城址』と記してあります。ちょっと寄ってみることにしたので、今回はそのお話です。↓

「どうなんかんじょいわ」と読むらしい。ん!?ビクッ!!え待って。人形。↓

通りの先へ進むと、小さな森のような丘のような山のような場所があって、こちらが『柴田古城址』。↓

案内板には、こう書いてあります。↓

柴田城址。鎌倉時代・南北朝時代、菊池武光らの砦か?戦国時代末期は、筑紫広門氏の出城で、その家臣の村山近江守の子である弾正の城であった。

なるほど。さて、さらに先を目指します。岩があるらしいんだけど、この巨石は庚申塔。↓

案内によれば、岩は神社とお寺の先にあるみたいです。↓

奥まで進むと「西方寺」があって↓

その裏手に「高木神社」が鎮座。↓

神社の脇に再び案内板が立っていました。↓

ん!?山ってこと!?登山ってこと!?ふーん、登っちゃう系!?↓

説明書きにはこんな記載が。↓

童男丱女岩は、徐福伝説ゆかりの地。二千年前に中国を統一した始皇帝が不老不死の神山、神薬を求めて東に向かわせた大船団のこと。

そして↓

10歳くらいの童男童女をのせた数十の船の多くが有明海に入り、想像すれば、一行は小さな船に乗り換え、宝満橋あたりに止め、宝満川をさかのぼったと考えられます。

どうですか。良くわからんよ。岩というのは船の意ってこと!?ちなみに、宝満橋は前回渡りましたね!!やったー。↓

それでは登山りましょう。頑張るぞい。↓

こっちこっち。↓

山の中は気持ちがいいね。↓

しばらくすると東屋みたいなのがあって↓

到着とか書いてある。↓

ほう、いい眺めじゃん!?↓

ここにも案内板があって↓

さっきのお話の続きが書いてありました。↓

中国では、徐福集団が日本に着いたか疑う学者もいますが、多くは史実だとされています。

そしてこちらには『友好門』と書いてある。日中友好的な!?↓

ちょっと探してみたんだけど、結局、あたりに岩らしきものは見つからなかったのであった。↓

ここからさらに進んでみると↓

「蘆城城の跡」があるらしい。↓

この「宮地岳方面」はまた別の機会に訪ねてみたいです。↓

この一帯が「蘆城城の跡」ということなのだろう。↓

ってことで、下山!!↓

次回から、再び日田街道に戻ります。ところで、徐福伝説なんだけどさ。結局のところ、いったい、なんだったんだろう!?


【童男丱女岩】

福岡県筑紫野市天山