なにもないのが郷愁を誘う【出来町公園】

先日、福岡市博多区にある【出来町公園】を訪ねました。↓

訪ねたというよりも、博多区にある『博多千年門』を抜けて歩いている途中にたまたま通りかかりましたので

ついでに寄ってみたというわけです。↓

公園内には、サラリーマン風の人だとか学生っぽい人が、なんとなく時間を潰しているような、まったりした雰囲気が充満しており↓

園内奥の方には、なにやら車輪がついた石碑が立っている。近寄って見てみると、「九州鉄道発祥の地」と刻まれていて↓

碑の後ろに廻ってみると↓

そこには詳細がずらずらっと書かれていました。読んでみます。↓

明治21年(1888)、九州鉄道株式会社が創立されました。ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルを招へい。この公園の一角に設けられた博多駅から 久留米の対岸にある千歳川仮停車場へ向けて敷設。いらい九州鉄道は路線を伸ばすとともに、すでに開業していた筑豊鉄道・豊州鉄道・唐津興業鉄道・伊万里鉄道とつぎつぎに吸収し発展。明治40年、鉄道国有法によって国に買収されたのでした

続きます。↓

博多駅も鉄道の発展につれて二代 三代と所を変えて成長。九州の鉄道関業九十周年を迎えるにあたり この地に碑を建立しました

園内そばには、もう一つ変わった形の石碑があって↓

そこには「博多駅」と刻まれていました。↓

つまりここ『出来町公園』のある敷地というのは、かつて初代博多駅があった場所!?ということっぽい。↓

もう少し詳しく知りたいので、まずwikipediaの『博多駅』の項を参照してみたいと思います。↓

博多駅は、1889年(明治22年)、九州鉄道が九州初の鉄道路線を敷設するにあたり、当時の「博多」の南限にあたる承天寺境内南端部、現在の「出来町公園」付近に福岡市の玄関駅を開業させ「博多駅」としたものである

そういえば、『承天寺』の末寺で塔頭の

『乳峰禅寺』(↑)でもそんなお話がありました。↓

さらにwikipediaから参照します。↓

初代駅舎(明治22年)2代目駅舎(明治44年)は、現在地の北西600mの出来町公園付近にあった。そして3代目(昭和38年)から現在地に。今は4代目

2代目は祇園付近に移転という話もあるみたいだけど、私は分かりません。でもね、2代目駅舎ということでちょっと思い出したことがあるんです。↓

 

それはずばり、支柱。福岡市博多区の『山王公園』(↓)敷地内にある『山王日吉神社』入り口そばには

博多駅2代目駅舎の支柱が移築してありました。↓

そして支柱ということで、さらに思い出したことがあるんです。↓

そう、JR博多駅の屋上に鎮座する『鉄道神社』(↓)の境内には

博多駅2代目駅舎の1番ホームの支柱が元気に立っていましたね。↓

書籍『九州の鉄道おもしろ史/弓削信夫』を読んでみますと、他にも博多駅に関する詳細な説明がありましたので↓

少し参照させていただくと↓

初代博多駅は、今の博多駅より北西600mのところにあった。(初代の)駅の中心は大博通りになっている

当時の位置関係を記した図がありましたので、こちらもざっくり参照させていただくとこんな具合。↓

また、書籍『福岡の近代化遺産』の中の記述から↓

一部分を少し参照させていただきます。↓

(現在の博多駅の)メインストリートの大博通りは、旧博多駅構内を分断していて、(旧博多駅の)遺構は残存しておらず。二代目博多駅舎はルネサンス風煉瓦造二階建の壮麗な造り

とのこと。↓

こういった記述を読んで、かつての姿をあれこれ想像してみると、おぼろげながらに当時のその面影が浮かんでくる、ような気が。↓

するようなしないような。


【出来町公園】

福岡市博多区博多駅前1-10