ハーゲンベックがやってきた【大名界隈/柳猛直・財部一雄著02】
今回は前回に引き続き、書籍「大名界隈/柳猛直・財部一雄著」を読んでいきたいと思います。
いつものように気になる箇所を参照させていただきながら(ありがとうございます)、街の移り変わりを学んでいきます。

まずは「天神1丁目」地区のお話から始めます。よろしくお願いします。↓
現在の天神1丁目には旧天神町、因幡町、薬院堀端の東半分と橋口町の南端、下警固、春吉の一部が入っています(p70)
とあって、
明治9年、城内にあった福岡県庁が天神町の明石家の邸宅跡に移されました(p72)
そののち昭和56年、
福岡県庁は東公園に移りました
(※東公園についてはこちらの記事も!↓)
ちなみに天神町の名の起こりは水鏡天満宮にあり、

それはこういう具合。↓
黒田長政は庄村(今泉1丁目)の容見天神を天神町に移し水鏡天満宮を建てました。城の東北つまり鬼門にあたるので守護神として祀りました。もともとこの場所は智福寺の跡であった(p70)
(※水鏡天満宮のお話はこちらでも!↓)
といったところで、次は「天神2丁目」界隈のお話へ移ります。↓
現在の天神2丁目には旧天神町、因幡町、薬院堀端の約半分と薬研町、小烏馬場、渡辺通り5丁目、橋口町、下名島町、万町の一部が入っています(p102)
この中の「因幡町」の町名の由来というのは、↓
黒田25騎の一人、衣笠因幡の邸があったところから「因幡町」。黒田25騎というのは黒田長政を筆頭に戦国を潜り抜けてきた武将たちのことです
その衣笠因幡の邸は、↓
肥前掘りに沿った場所にありました。幕末、因幡景延の嫡子左兵衛が忠之の勘気にふれて江戸で追放されて、衣笠の邸はなくなってしまいました
ですが後年になって子孫は筑前に帰った(p102)、とのこと。また、
旧因幡町南側に広がる町を薬院堀端といいました。薬院堀端南にあった街が旧小烏馬場とその西側の薬研町。小烏馬場というのは警固神社のある場所に小烏神社があったから。いまここに警固神社があり、小烏神社は警固3丁目の小高い丘の上にある
(※警固神社のお話はこちらで!↓)
警固神社。↓

(※小烏神社のお話はこちらで!↓)
小烏神社。↓

お次は「天神3-5丁目」地区のお話。
現在の天神3丁目、4丁目、5丁目には旧城下町・福岡の北東部が含まれます
そして、
北は海岸に面して美しい砂浜が続いていたが、昭和に入って埋め立てがはじまり、海と隔絶された町になってしまいました(p178)
とのこと。
海からの攻撃に備える防衛施設の意味もあり寺院が密集。その中の安国寺にはアメ買い幽霊の伝説が残ります
(※安国寺のお話はこちらで!↓)
安国寺。↓

また広田弘毅は鍛治町に生まれたというお話もあり、
(※広田弘毅のお話はこちらで!↓)
枡形門にまつわるこんなお話も。↓
天神4丁目の旧橋口町の入り口には枡形門があり番所がありました。枡形門は明治に撤去され、石材は那珂川河口の防波堤の増築に利用されました
それから、↓
旧藩時代、枡形門北側あたりに牢屋がありました。徒刑場が須崎浜に設けられ、その後数回変更があって、須崎浦町に福岡監獄が設けられました
そののち、
市の外れの藤崎に移転、昭和11年に福岡刑務所と改称されました(p191)
(※須崎地区のお話はこちらでも!↓)
さらにこんなお話も。↓
第一次大戦において、日本はドイツに宣戦布告し青島要塞を攻撃しました
間もなく青島は陥落。ドイツ軍捕虜は須崎裏の赤十字社と旧柳町に収容されたのでした。
(※青島とドイツ軍のお話はこちらでも!↓)
さらにさらにこんなお話も。↓
昭和8年ハーゲンベック・サーカスが福岡へやってきました。世界的に有名なドイツの動物園サーカスであり、それはちょうどヒトラーが政権をとったときでした(p214)
(※ハーゲンベックについてはこちらの記事も!↓)
ハーゲンベック動物園(グーグルマップより)。↓

さて、書籍では引き続き「赤坂1-3丁目」それから「舞鶴1-3丁目」のお話へと移っていくわけですが、今回の参照はここまでとなります。
盛りだくさんの情報で貴重な学びとなる読書体験でした。ありがとうございました。終わります。
(※書籍「大名界隈/柳猛直・財部一雄著」から参照させていただきました)








